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はじめに
GCC諸国は、戦略的に重要な地域として、大国の熱い視線を受けてきた。
古くは、イギリス、そして、アメリカがこの地域の安全保障に大きな役割を果たしてきたが、安定した地域というより、むしろ、紛争多発地域といえる。
この地域の重要性は、石油に始まり、石油に終わるといっても過言ではない。
言い換えれば、石油以外はなにもないのである。
その石油は、戦略物資として、今なお、世界経済に大きな影響を与えている。
日本もこの例外ではない。
そこで、この地域の安定化の道、安全保障と、それに関わってくる石油供給問題という二つの要素をからめ、この地域の未来を探っていきたいと思う。
1.湾岸戦争以前
湾岸協力会議(以下GCC)は、1981年5月、サウジアラビア、クウェート、オマーン、アラブ首長国連邦、バーレーン、カタールのアラブ湾岸6カ国をメンバーとして、設立された。
このきっかけになったのは、イランのイスラム革命、ソ連のアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争の勃発という、3つの要因によって、湾岸諸国が、力を持ち、政治的変化に対応できるように結束しなければならなかったからである。
このことからわかるように、GCCの大きな課題は、ペルシャ湾岸地域の安全保証問題であった。
しかし、GCCは、その憲章で、広い範囲にわたる共同の取り決めの構想が盛り込まれ、「経済、財政、教育、文化、社会問題、公衆衛生、通信、情報、旅券、国籍、渡航、輸送、貿易、税関、輸送、法律、行政の面での」協力が、提唱された。
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これは、あくまでも、安全保障だけの組織だと思われないためのカモフラージュにしかすぎないと指摘もある。
この指摘があるようにあくまでも、当初の大きな目的は、集団安全保障であると見ていい。
1.1 域外安全保障
その域外に対しての、安全保障問題について見てみると、GCCは当初、GCC6カ国からなる連合軍をサウジアラビア東北部に配備している。
規模としては、「旅団以上」の「機動部隊」を準備したとされる。
(5000人規模)形上では、GCC6カ国すべて参加していることになっているが、実際は、その基地がおかれているサウジアラビアが、大部分の兵員を提供していた。
また、GCC諸国は、ここの1国ではもちろんのこと、その全体としても、域外に対しては、部隊の規模、統一状況、装備などすべての面において、イラン・イラクという、地域大国に、対抗すべき第三の極をつくるには、いたっていないという状況であった。
この連合軍は、あくまでも、シンボル的なものにしかすぎないというのが当時の一般的な見解であった。
そんな中で、この時代の、GCC諸国の域外安全保障に大きな影響を与えいたのは、GCCの「機動部隊」ではなく、アメリカとその「水平上戦略」であった。
この時代、アメリカは、イスラエルと協力関係にあるため、GCC諸国にとって表だった協力関係になるのは、国内の事情からも好ましくなかった。
また、アメリカにとっても、中東の非民主主義政権である君主制のGCC諸国に介入するのは、国内的に見ても望ましくはなかったともいえる。
(ユダヤロビーの運動も議会に大きな影響を及ぼしていいた。)
この為、アメリカは水平上のかなたに待機していて、有事になれば、だだちにそこから介入するという「水平上戦略」が考えられた。
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