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GCCの安全保障- イラン・イラク戦争から湾岸戦争を越えて、地域が目指す先は? - |
この戦略は、当時、双方にとって都合のいいものだった。 しかし、GCC諸国内にアメリカがたびたび軍事基地を要求していた事実もある。 (これは、イランでのアメリカ大使館乗っ取り事件の際の救出作戦の失敗が論拠になったといわれている。 ) 当時、GCC諸国諸国の中では、唯一オマーンが、アメリカに地上軍事基地を提供していた。 また、サウジアラビアのダーランもある意味では、アメリカの地上軍基地であった。 アメリカ軍の空中警戒管制機が、アメリカ軍人によって、操縦されているからだ。 この、空中警戒管制機は、84年のサウジアラビア軍機とイラン軍機の交戦のときには、重要な役割を果たした。 イラン機の接近を知らせたのは、空中警戒管制機であり、それを撃墜した、サウジのF15戦闘機はアメリカが供与し、乗務員も訓練していた。 他のGCC諸国もクウェートがスティンガー・ミサイルをアメリカに求めたように、アメリカとその水平上戦略は、この時代のGCC域外安全保障に大きな影響を与えていた。 GCCの設立も、イラン革命による、国内のシーア派に対応するために生まれたという側面もある。 GCC加盟国の過半数、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、UAEの4カ国は、国内にかなりの数のシーア派人口を抱えておる。 しかし、1980年代はじめに恐れられていた、イラン革命に共鳴する戦闘派シーア派の試みは、結果はさんざんなものであった。 これには、二つの理由が上げられている。 |
まず、第一に、GCC域内のシーア派は、各国のシーア派社会のなかで、統一した意識がなかったということが上げられる。 これは、例えば、クウェートの中のシーア派社会では、裕福な商人層と、貧困な都市住民がいた。 これらの二つの中では、統一した意識を持つことはなかった。 また、シーア派の中で血縁関係による分裂が起きた国(バーレーン)もあった。 ここでは、反政府勢力として大きな力を持つ、イラクのシーア派とは異なる環境にあったことがわかる。 第二に、GCC各国がその対応が成功したということがある。 バーレーンでは、シーア派に対して数々の監視活動を強化した。 また、サウジアラビアでは、シーア派の意見に積極的に耳を傾けるように、シーア派が多い東部州の知事に指示を与えていた。 シーア派が、1980年代にGCC諸国に対して大きな脅威であったという意見は、この時代を見ると、かなり誇張されたものであったという分析がされている。 また、イラン・イラク戦争が終わった以降において当時は、イランがシーア派革命を広げるために、湾岸スンニ派諸国に対して、軍事侵攻を行うという可能性はなくなったと考えられていた。 イラン政府は、イラン・イラク戦争終結後、疲弊した国内状況に合わせて、現実的な外交政策を採らざるおえなくなった為、そのため、GCC諸国内のシーア派は、外からの刺激が減り、反政府派としての人気が薄れていった。 このような経緯があるため、GCCの域内安全保障はうまくいっている、というのが、当時の一般的な分析であった。 むしろ、1980年代の域内の安全保障的な脅威は、このころから始まった、石油価格低迷による財政赤字だったのではないか。 |
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