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GCCの安全保障

- イラン・イラク戦争から湾岸戦争を越えて、地域が目指す先は? -

 サウジアラビアは、OPEC内で、「スウィング・プロデューサー」需給調整役を引き受けていた。 それが、OPECの価格を守る上で重要な働きをしていた。

 1983年年頃から、その役割を明確にしたが、1985年には、コストは、他の産油国に比べ、はるかに高くなっていた。 また、価格を守ることはサウジアラビアに生産量の大量削減、市場シェアの大きな損失、歳入の大幅減をもたらした。

 また、OPEC以外の国の生産が以前より比較的に増えており、価格を守るために減産することは、イギリスの北海油田のような産油国を助けているだけのような状況になっていた。

 1985年冬から、それに耐えられなくなったサウジアラビアは、シェア奪回に乗り出した。 ここから、1986年夏まで、価格は下がり続けることになる。 それも、大方の予想を裏切って、70%以上もさげてしまった。 (1985年11月は、1バレル27ドル、最安値時は、1バレル9ドル ※参考資料1)

 価格を守るために、輸出量を減らし、結局、価格が前と比べものにならないぐらい下がってしまったことで、サウジアラビアをはじめとするGCC諸国は、財政赤字の時代を迎えることになる。 具体的には、UAE、オマーン、クウェートが、1982年度から、サウジアラビア、カタールは、1983/84年度から、バーレーンは、1986年度から赤字財政がつづいている。

 クウェート、カタールは単年度で、黒字を計上した年もあるが、それ以来、現在まで、財政がつづいている。 (1996年度は、GCC諸国合計の赤字額は、114億7000万ドル)

 しかし、湾岸戦争以前は、GCC諸国は、海外に巨額の累積資産があり、財政赤字政策を取ることは、中短期的には問題はなかった。

 

 しかし、これの問題を克服するのには、石油価格が上昇するしかなかったが、上昇する見込みはなかった。 この時期に大きな問題が、始まっていたのだ。

  2. 湾岸戦争前夜

 GCC諸国にとって、イラン・イラク戦争から湾岸戦争勃発までは、安全保障面では、明るさがあった。 イラン・イラク戦争の集結、ソビエトのアフガン撤退、パレスチナ国家独立宣言などがそれに当たる。 この時期の全世界が、冷戦構造の崩壊で、戦争の起こる予告をたてていなかったといえる。

 イラン・イラク戦争後のイラクに対して、GCC諸国は、イラクがGCCに加盟してくるのではないか、そして、イラクにGCCが乗っ取られるのではないか?という、不安を感じていたと指摘されている。 また、GCC諸国の盟主ともいえるサウジアラビアは、イラクに対抗できないだろうといわれていた。 しかし、これは現実問題にならなかった。  イラン・イラク戦争が終わったもののその終わり方は、GCC諸国にとってあまり好ましいものではなかった。

 87年に、イランはそれまで、両国の国境で行われていた戦いの均衡を破って、イラクの最南部、クウェートとの国境地帯である、ファオ半島を占領したが、この後、イラク軍に進軍を阻止されイランが不利な状況になった。 そして、戦争の最終局面の88年の春頃から、イラクは化学兵器を使用し、明らかにイランに対して、勝利を収めていった。 このような状況下で行われた和平合意は、両国、手詰まりであったものの、ややイラク有利な合意であったといわれている。




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