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GCCの安全保障- イラン・イラク戦争から湾岸戦争を越えて、地域が目指す先は? - |
この為、イラクのバクダット政府は、自信をつけた。 この結果、イランは、戦争終了後も、武器購入を続け、スーダン、ヨルダン、イエメンに経済援助を行った。 そして、アラブの盟主になろうとねらっていた。 これは、ヨルダンのフセイン国王が中心となって、設立を働きかけた、アラブ協力会議(ACC)の設立段階の行動やエジプトのアラブ連盟復帰のいきさつ、そしてこの時期の、イスラエルへの態度について注視してみると解る。 この当時、GCC諸国は、一貫して、イラクに対して、イラン・イラク戦争時には特殊な役割を演じてたにも関わらず、イラクに対して、特殊な地位になれなかった。 これは、なぜなのか?ここには、見解の違いがあった。 イラクは、GCC諸国を守ってやったという立場であったのに対して、GCC諸国には、イラクに対する援助をして戦争遂行を助けてやったという立場だった。 (クウェートは、戦争中にイラク石油を輸出していたため、イランからの攻撃を受けることがあった。 サウジアラビアもイラン軍機と交戦した。 ) また、フセイン大統領は、GCC諸国に対してアメリカとともに、自国の反政府ゲリラ(クルドやシーア派)を使い、戦争を通じて強力な軍事力を持ったイラクを弱体化させてるようにしむけているのではないかと疑った。 GCC諸国にしてみれば、シーア派は自国内でも問題を抱えている勢力であり、イラクの強大化は恐れて多ものの、イラクの混乱は望んでいなかったはずである。 (この時期、イラクの軍事力に対する報道は、イランへの勝利とともに過大評価されていたといっても過言ではない。 そのためイラクの脅威は実際より大きく考えられていた。 ) 湾岸戦争を止めたれなかったのは、GCC諸国の「フセイン政権は、アラブの国に侵攻しないだろうという」状況判断ミスが、命取りになったといえよう。 |
クウェート侵攻は、アラブのすべての国が予想していなかったといっても過言ではない。 イラクが、クウェート国境に軍隊を展開したときもGCCとしては、軍事的な動きはなにも見せていなかった。 (クウェートも緊急配備をしていたが、侵攻時には抵抗らしい抵抗はできなかった。 王族が逃げだせたのが、最高の成功という評価もあるが、CIAが情報提供をしていたらしい。 ) クウェート侵攻後も、フセイン大統領とファハド国王は、綿密に連絡を取っていたが、これが、イラク撤退に結びつくとはなかった。 この戦争に関して、GCCが機能しなかったのは、歴史が語っているが、当初から、GCCが解決をめざすほどの政治力・軍事力を持っていなかった。 特に、ファハド国王が、アメリカ軍を受け入れた時点で、問題がアラブ内で解決できるレベルを超えたといえる。 湾岸戦争時は、アラブ連盟主導のアラブ合同軍が、サウジアラビア国境の防衛のため組織され、統一の司令部が設置され、アメリカ主導の多国籍軍とは、図で見る限りの指揮系統上は、独立していたが、実際は、アメリカ主導の作戦が展開され、これの指揮下にはいっていたと見て問題はないであろう。 湾岸戦争は、GCC諸国にとってアラブ内での同士打ちという最悪の結果に終わってしまった。 その為、湾岸戦争後、湾岸地域の安定をめざして様々の試みがおこなわれた。 |
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