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GCCの安全保障

- イラン・イラク戦争から湾岸戦争を越えて、地域が目指す先は? -
その5
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4.1 GCC+2

 湾岸戦争集結直後のGCC諸国の安全保障の対応は、アラブの枠内では、湾岸戦争当初からアラブ域内での解決を唄っていたエジプトと、密接して安全保障政策が採られるのかという節があった。 エジプトとシリアを含めたGCC+2という考え方である。

 戦後すぐである、1991年3月には、エジプト、シリア軍の湾岸地域駐留継続などを柱とする安全保障の枠組みである「ダマスカス宣言」採択した。

 また、アラブの国々と協力していくという体制は、1991年12月のGCC首脳会議での、100億ドル規模の経済開発基金の設立を決めたことからも解る。 この基金は、GCC各国が資金を拠出し、アラブ域内の開発プロジェクトを支援するというもので、この背景には、湾岸戦争を機に新たな紛争の要因として、アラブ間の経済力の格差が注目され始めたことによるものと見られている。

しかし、GCC諸国は、

     
  • 次のような2つの点が他のアラブ諸国と異なっていること
        
    • その域内諸国の政治体制が、君主制なこと   
    • その国家体制が石油に依存していること
     
  • アラブの問題に巻き込まれたくないということ
から、エジプト・シリアを含めた8カ国での和平交渉は、早い段階のみでの合意しか得られなかった。

4.2  GCC+イラン

 イラクとの敵対関係から一時的に、イランとの関係密接化(主にオマーンが主導)が図らた。 オマーンは、先にも書いたように、イラン・イラク戦争集結直後から、その地域的な特性、二大大国ではイランの方が近いことから、イランとの融和に積極的であった。

 

 GCC諸国は、イラン・イラク戦争終結直前からイランとの対話に動いていた。 これは、湾岸の安定をはかるのには、イランを除いては、行えないという考え方があった。

 湾岸戦争集結の早い段階、1991年では、GCC諸国は、長期的な湾岸の集団安全保障を構築するためには、潜在的脅威とされているイランを取り込むが不可欠という考え方が、重きをなしていた。

 また、サウジアラビアは、1985年から86年の石油価格暴落のときに、イランと協力して、石油価格を押し戻した。 (というより、OPECがイラク主導で戻したといった方がよい。 この時は、サウジアラビアとイランの暗黙の了解があったため、OPECが、アナリストの予想を反して価格を上げられたといわれている。 )この地域の安定は石油価格の安定も左右する。 85年に痛い思いをしたサウジアラビアはそしてGCC諸国は、どこかでイランとの強調を石油価格面でのことも考えていたのかもしれない。 特にGCC諸国は、イラン・イラク戦争以後、石油の安定供給を世界に訴えたかったに違いないからだ。 そして、二大産油国が、安全保障的にも安定してれば、石油価格は安定する。

 しかし、GCC+イランという考えは、1991年の6月頃に、もっとも勢いがあったが、このころの合意以後は、具体的な進展は見られなかった。 1991年12月のGCC首脳会議の頃には、具体的な提案はでなくなっている。

そして、1992年のGCC首脳会談では、イランの脅威について語られるようになった。

イランは、シーア派革命を推進しており、そのテロへの対応について、GCC諸国は、根強い不信感を持っているとされている。 また、イランとGCC諸国の間には、国境問題を抱えている。

 これを解決せずにこのプランを進めるのは、無理があったのではないか?




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